2019/10/23 23:14



●萩焼の歴史

萩焼の起源は、約400年前にさかのぼります。 
豊臣秀吉の文禄・慶長の役(1592~1598年)で、朝鮮より引きあげる際に、陶工を一緒に連れて帰りました。
この陶工の李勺光(り しゃくこう)と、翌年呼び寄せられた弟の李敬(り けい)が今の萩焼の祖といわれています。
萩焼は慶長9年(1604年)に藩主毛利輝元の命によって、
朝鮮人陶工、李勺光(山村家)李敬(坂家)の兄弟が城下で御用窯を築いたのが始まりとされています。 
後に毛利輝元が、安芸の国(広島)で二人を預かりました。1600年の関ヶ原の戦いで敗れた毛利輝元は、領地を中国8か国120万石(現中国5県)から周防・長門の2か国36万石(現、山口県)に減らされ、居城を萩の地に移すことになりました。
これとともに、毛利藩の御用窯として開窯し、幕末まで続き、現在に至っています。

後に兄弟はそれぞれ別々の流派を生み出したが、李勺光の系統、山村家は後に断絶しました。
一方で、明治期より苦境に立たされており、その時に休雪が休雪白という独特の作風を確立するなどして萩焼を中興しています。

◎萩焼の技術は、1957年に文化財保護法に基づく選択無形文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形文化財)に選択されています。

◎1970年には三輪休和(十代三輪休雪)、1983年には三輪壽雪(十一代三輪休雪)がそれぞれ人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定もされています。

◎2002年1月には経済産業省指定伝統的工芸品の指定を受けた、萩焼この文化を世界に広めて行くための活動を日々行っております。